“粋”の歴史、浅草のまち

大勝館

■明治■平成9年
 大正・昭和にかけて浅草を代表する洋画の封切館として有名でしたが、その後、松竹が買収しました。昭和40年代にはいり映画産業が下火になると取り壊され、中映ボウルとしてオープン、一大レジャーランドに生まれ変わりました。当時のボーリングブームで浅草には、楽天地、中映、松竹の三つのボーリング場が賑わいを見せました。



国際劇場

■昭和12年■平成9年
 昭和12年9月、収容人数4000人のマンモス劇場として開場。松竹少女歌劇(S.K.D)が、浅草松竹座からその本拠を移し、途中戦争で中断はありましたが、昭和57年4月の最終公演まで活躍しました。昭和60年9月に浅草ビューホテルが、その跡地に誕生しました。


浅草のまち今昔
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