“粋”の歴史、浅草のまち

雷門

■明治■平成9年

 慶応元年12月、田原町からの出火で焼失しましたが、風神・雷神の像と、門楯掲額は難を逃れました。しかしそれ以来雷門は再建されず、昭和35年5月、松下幸之助氏の寄付でようやく再建され現在に至っています。

※明治時代の錦絵には雷門が描かれていません。


本堂

■明治44年■平成9年

 旧本堂(国宝、徳川家光公建立)は昭和20年3月10日に惜しくも戦災で消失しましたが、昭和33年10月、全国御信徒のお力添により再建されました。
 現本堂は鉄筋コンクリート、本瓦葺で、御堂は南に面し、350坪の堂内は畳敷の内陣、コンクリート敷の外陣とに分けられており、内陣中央には御本尊聖観世音菩薩を奉安する御宮殿があります。さらに御宮殿内には、慈覚大師作の御前立御本尊の他、徳川家康公、徳川家光公、公遵法親王等の方々の御持仏であった観音像が奉安されています。御宮殿の左右には梵天・帝釈天の二天がまつられ、また御本尊の脇侍としては内陣右奥に不動明王、左奥には愛染明王がまつられています。


仲見世

■明治■平成9年

 明治18年「浅草公園区画整備事業」の一環として、それまで規格のなかった通りを煉瓦建ての形式にしたのが、近代仲見世のはじまりです。関東大震災で全壊し、戦争で焼け、そのたびに再建され、現在に至っても、浅草寺の表参道として、常に人の絶えない賑わいを見せています。


浅草のまち今昔
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